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	<title>癒しのことば &#187; ボルテール</title>
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		<title>No.704 ボルテール</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Aug 2006 06:21:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>shin</dc:creator>
				<category><![CDATA[バックナンバー]]></category>
		<category><![CDATA[ボルテール]]></category>

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<p><strong>「自由であろうと望んだ瞬間に、人は自由となる」</p>
<p>&#8211; ボルテール（フランスの小説家）&#8211;</strong></p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>私たちは悪をなす自由があるし、人を殺すことが役割だという人もいる。</p>
<p>……などと言ったら、<br />
「？？？」<br />
という感じでしょうか。</p>
<p>もちろん、私も、悪ではなく人のために善をなすことが大切だと思いますし、人を殺めるなどの凶悪犯罪は、この世界に存在しないことを願っています。</p>
<p>でも、この世界に生まれてきた私たちには、「自由」というものが与えられています。<br />
どんな道でも、自分で選ぶことが許されているのです。</p>
<p>まあ、こんな考え方もあるものだ、くらいに思ってくださいね。</p>
<p>神様の存在を信じている人にとっての、最大の疑問は、<br />
『神が人を創造したのなら、どうしてすべての者が、良い方向を志すように生み出されなかったのだろうか。<br />
どうして、悲惨な戦争や、悪事を働く人を生かしているのだろうか』<br />
ということではないでしょうか。</p>
<p>その答えは、最終的には「私たちには自由があるから」ということになるのかも知れません。</p>
<p>神がこの世界や人を創造したかどうかは別として、もしも、すべての人の存在が、ただ善という方向に進むために、労わりと慈しみを持ち世界を明るくするためにあるとしたら、そんな不自由なことはありません。</p>
<p>進むべき方向が決められていることになるのですから、その方向以外には進むことができなくなってしまいますね。</p>
<p>もちろん、私たちの魂の志向は、善や平和、穏やかな世界だということはできます。<br />
しかし、それが善なのかということは、悪という存在がないと知ることができません。</p>
<p>今が平和かどうかは、かつて味わった不安や恐怖があるからこそ、わかるものです。<br />
この世界は、私たちは、さまざまなことを味わう場だとお伝えしました。</p>
<p>平和や幸せ、善に関しては、ある意味、私たちは、もうすべてを知り尽くしているのです。<br />
かつては、いつも平和のなかにいたから、それが平和なのかどうかなんて、考えることもしていなかったのです。</p>
<p>だから、私たちには、悪を犯して深い慙愧の念にかられることで、多くのことに気づくという自由もあります。<br />
また、そんな役割の人がいるから、辛い体験を味わう人たちもいるし、平和の大切さを改めて痛感することもあるのです。</p>
<p>だからといって、罪が許されるわけではありません。<br />
肉体の罪は、法によって裁かれて刑を受けることになります。</p>
<p>魂の罪も、やはり罰を受けることになるのです。<br />
それはそれで、また意味のあることなのです。</p>
<p>これはまた別のお話になるので、ここでは深くは触れませんが、知っておいていただきたいのは、私たちに与えられている「自由」は、けっして狭い範囲に限ったものではないということです。</p>
<p>また、単にネガティブ体験をするためにあるのでもありません。　私たちは、どこにでも行く自由があるし、何でもする自由があるのです。</p>
<p>でも、自由を考えすぎて、自分を不自由にしている人もけっこういるようです。</p>
<p>これはダメ。<br />
こんなことをしてはいけない。<br />
それは間違っている。</p>
<p>そんなことを思ってしまう瞬間に、それは本当の自由ではなくなっていまします。</p>
<p>そりゃ、肉体を持っている以上、制限や従わなければならない社会のルールがあるでしょう。<br />
それは、それで必要なことなのでしょう。</p>
<p>それでも、本当は私たちは、「何でもあり」の存在なのです。<br />
魂が望む、どんなことでもできる自由があるのです。</p>
<p>自分で創りだした不自由で、自分を裁いたり規制したりするのはやめましょう。</p>
<p>過去に行ったすべてのことは、あなたに自由があったからだと信じてみましょう。</p>
<p>自分を、自由という広大な世界に解き放つのです。<br />
ただそれを頭の片隅に置いておくだけで、生きるのが楽になる方も多いのですよ。</p>
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		<title>No.299　ボルテール</title>
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		<pubDate>Thu, 13 Sep 2001 06:56:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>shin</dc:creator>
				<category><![CDATA[バックナンバー]]></category>
		<category><![CDATA[ボルテール]]></category>

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　<br />
<strong>　「パラダイスとは、私が今いるところだ」</strong></p>
<p><strong>　 　　　　　　　　      　 &#8212; ボルテール（フランスの思想家）&#8211;</strong></p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>よい人間関係を築いている人は、心が前向きで充実していることが多いそうです。<br />
　<br />
言われてみれば、心が充実してながら人を避けたり、孤立していて表面的なつきあいしかしない人は想像しにくいですよね。</p>
<p>自分独自の世界を持ちながら、心も充実している人もいるでしょうが、そんな人こそ、多くの人を惹きつける魅力を持っていて、静かだけどいい人間関係を持っていることが多いようです。</p>
<p>だとすると人間関係を充実させることが、心の健康にもつながってくるということもいえるのではないでしょか。</p>
<p>そして、人間関係をよくしていく秘訣とは、他人をあるがままに受け入れるということに関係しているということです。</p>
<p>……といっても、これは簡単にはいかないようです。</p>
<p>自分とウマが合う人や、その人のいい面を受け入れることは誰にでもできますが、欠点や短所などもひっくるめて受け入れるとなるとどうでしょうか。<br />
欠点を指摘して直してやればいいと思うかもしれませんが、それこそ至難のワザですよね。</p>
<p>だって、自分の欠点や短所をわかっていながら、なかなか改善できないのが私たちなのですから。</p>
<p>それに、実は他人を受け入れられるかどうかのカギは、自分自身を受け入れられるかどうかにかかっているようです。</p>
<p>自分に思いやりを持っている人は、他人にも思いやりを持つことができます。<br />
自分の欠点を許さない人は、他人の欠点も許すことができないものなのです。</p>
<p>また、自分をいつも責めたり攻撃している人ほど、他人のことも責めてしまうことが多いようです。</p>
<p>たとえば、誰かのことばに傷ついたり過剰に反応してしまうこともあるでしょう。</p>
<p>そんなとき、完全に自分を受け入ている人なら、また違った反応をしているのではないでしょうか。</p>
<p>その人のことばが、不注意や根拠もない自分の考えにしたがってのものならば聞き流すことができるでしょうし、もし一理あるのなら、自分の欠点に気づかせてくれたことに感謝できるのです。</p>
<p>でも、自分をあるがままに見ていないとしたらどうでしょうか。<br />
そのことばは、自分に対する侮辱や攻撃として捉えてしまい、落ち込んだり反撃したりしてしまうのです。<br />
　<br />
自分が道を歩いていると考えてみてください。<br />
　<br />
急に人が自分の前に飛び出してきました。<br />
先を急いでいたりして、気がせいていて、自分を見失っているのなら、その人のことを、自分の道をふさぐ邪魔なヤツと思ってしまうでしょう。</p>
<p>気の短い人なら、その人を突き飛ばしたり、文句をいってしまうかも知れません。</p>
<p>でも、ちゃんと自分を受け入れ、心に余裕を持って歩いているとしたら、ど<br />
んなに急いでいたとしても、目の前の人にいきなり噛みついたりはしませんよね。<br />
　<br />
その人は悪意があって自分の前に飛びきしてきたのではなくて、ひょっとしたら石に躓いてしまったのかも知れないななどと、冷静に状況を見ることができるのです。</p>
<p>また、自分の道が違っていたから、ぶつかっってしまったのなら、それもちゃんと見ることができて、すぐに方向を変えることもできます。</p>
<p>自分をあるがままに受け入れるとは、自分の道を歩くことを楽しむことといってもいいかも知れませんね。</p>
<p>そう思うと、いい人もイヤな人も、どんな人だって自分のまわりにいる人は、その道を一緒に楽しむパートナーなのですよね。</p>
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