No.587 コリン・ターナー
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「成功とは、どの方向に歩いているかである」
– コリン・ターナー(アメリカの作家)–
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前回に引き続き、ひろさちやさんの本に書かれていたエピソードをご紹介します。
隣の火事の類焼で、大学教授で僧でもある人の家が焼けてしまいました。
大切な蔵書や執筆中の研究論文もすべてが灰になり、とりかえしのつかない損失を蒙ったのです。
その教授は、しばらくは火を出した隣家を怨み、復讐することばかりを考えていました。
しかし、自分は長年仏教を研究していて、人に平安な生き方を教えている身なのに、愚かなことをしていることに気づきます。
そこで教授は、自分の家は隣の火事で「焼かれた」のではなく、自分の誤りで「焼いた」と考えてみることにしました。
自分でしたことなら、怒りを感じることはないと思ったのです。
ところが、実際に自分でしてもいないことをしたと思い込むのは、どうしても無理があります。
一生懸命に、自分が「焼いた」のだと自分に納得させようとすればするほど、そんなことはないという怨みが湧き上がってくるのです。
苦しんだ挙句、教授は気がつきました。
家は、ただ「焼けた」だけだったのだということに。
「焼けた」ということは事実です。
そこにいろいろな思いを付け加えていたのは、誰でもない自分なのです。
「自分の家は焼けたのだ」ということを受け容れようとしているうちに、教授は、隣の人を許すことができたのだということです。
そういえば、私も以前、カウンセリングをさせていただいていたときに、人から裏切られたり、傷つけられたことがどうしても忘れられず苦しんでいる、という悩みをお持ちの方が、何人かいらっしゃいました。
そんな人の多くは、怒りを直接その相手に向けるのではなく、何とか忘れよう、相手を許そうと努力をされています。
自分にも非があったのだから仕方がない、と自分に言い聞かせようとしたり、犬にかまれたようなものだと思って忘れようと努力したり。
すべてを忘れようとしてみたり。
あるいは、何とか相手のことを許してあげよう、相手を好きになろうとしている方もいらっしゃいました。
でも、いくらがんばっても、自分が受けた心の痛みが和らぐことはなく、相手を許すこともできないのです。
だから、さらに怨みが募り、苦しみが増すことになってしまいます。
……それは、ある意味当然のことで、できもしないことに一生懸命になっていたり、努力の方向を間違っているからのようです。
自分が過去に出会った辛い出来事は、いくら忘れようとしても本当にあったことなのだし、実際に自分が感じた苦しみだって確かなものだったのです。
それを忘れようとするたびに、違ったように理解しようとするたびに、イヤでもその出来事を思い出すことになって居間います。
だから、何度も何度も、苦しみを再体験することになってしまうのです。
それに好きでもない相手を好きになることなどできるはずがないし、できるとしたら、自分らしさの一部を失ってしまうことにもなってしまいます。
そんな無理をするから、余計に苦しくなってしまうようです。
また、今の苦しみを解決するためには、過去の出来事を何とかしなければならないということもありません。
考えてもみてください。
今の、自分が本当に目指すところはどこなのでしょうか。
どこに焦点を向けるべきなのでしょうか。
これは過去の出来事ではなくて、自分がもっと楽になること、もっと前に進んでいくことですよね。
どれだけエネルギーを費やしても、がんばる方向が違っていては、本当に欲しいものを手に入れることはできません。
過去のことは過去のこと。
思い出しそうになったら、その出来事を、頭のなかで小さな箱に詰め込んでリボンでもつけて、どこか知らないところへでも送ってしまいましょう。
本当にエネルギーを注ぎ、あなたが歩いていくべきところは、『もっと楽しく生きる』ということなのですから。
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2004年12月01日
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