「2008年1月」のアーカイブ

No.810 ウォルト・ディズニー

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「人生で経験した全ての逆境、トラブル、障害が、私をまっすぐにし、強くしてくれた」

– ウォルト・ディズニー(ディズニー創始者)–

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紙に「あ」でも「い」でもいいですから、何か一文字書いてみます。
あるいは、はじめから書かれている文字のひとつを選んでもいいでしょう。

そのひとつの文字をじっと見つめてみてください。

しばらく見つめていると、目の前がぼやけてくるかも知れません。
見つめていることが苦しくなってくるかも知れません。

それでも我慢して、じっと見つめ続けてみてください。

きっとこんなことが起こるでしょう。

その見つめていたひとつの文字が、ある時点で突然大きくなったような気が
します。
と思ったら、次の瞬間には、視点がぼやけて何も見えなくなってしまっているのです。

……どうしてでしょうか。

実は、目で見ているものは、目の前にある物体に当たった光が眼球を通して視神経を刺激することによって起こることです。

見るためには刺激が必要なのです。
私たちが何かを見ているときには、たとえ一点に注意を集中しているつもりでも、無意識のうちに眼球が動いて絶えず刺激が入ってくるようにしています。

それを無理に、ひとつの部分だけを見つめるようにしてみると、最終的には刺激がない状態、つまりは、見えなくなってしまうようです。

もちろんその途中では、見つめ続けることが辛くなったり、見ているものに恐怖を感じたりして、注意を逸らそうと身体が信号を送って来ることもあるでしょう。

我慢できなくなって目を閉じてしまうこともあるでしょう。

もし仮に、そんなことを何度も繰り返していると、その見つめ続けていた文字だけが見えなくなってしまうことだって起こりえます。

太古からの記憶から、「見えない」ということは、人間にとっては生存の恐怖に繋がるものでしょう。
だからその恐怖から逃れるために、脳がその苦痛から逃れるために、その文字だけを見えなくしてしまうのです。

これは実際に教育の現場などで起こっていることだということです。

そして、これは、人生の問題においても言えることではないでしょうか。

あるひとつのこと。
それは悩みだったり、背負ってしまった責任だったりすることもあります。

そこだけを見つめ続けている、注意を集中し続けていたから、かえってその問題の本質が見えなくなってしまっている。

何度も同じ過ちを繰り返したり、解決の手段があるのに、あえてそれを選ばなかったりしてしまう。

乗り越える力があるのに、全然別な道を進んでいってしまっている……

たとえばミカンやりんごがあれば、それを手にとってみてください。その重さを感じてみてください。

そして、そのミカンやりんごをグッと握り締めてください。

……重さを感じることができたでしょうか。

確かに手のなかに握っているはずなのに、「重さ」はどこへ行ってしまったのでしょうか。

見つめ過ぎたり、強く握り締めたり。

そんなふうに執着することが、今の苦しみの原因だったりするかも、ですよ。

深呼吸をしてみてください。
肩の力を抜いて、もっと大きな視点で眺めてみてください。

ひょっとしたら、あなたの目の前にある問題。
それが、大きな気づきの、もうひとつ大きくなるための、きっかけなのかも知れませんよ。

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2008年01月28日
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プロフィール
大阪在住のライターです。
メルマガや超短編なども書いています。
慢性腎不全のため減塩生活中……

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