No.727 新約聖書より
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「求めよ、そうすれば与えられるだろう。
探せ、そうれば見つかるだろう。
門を叩け、そうすれば開かれるだろう」
– 新約聖書より –
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新約聖書の「ルカによる福音書」第11章に、イエスがこんなたとえ話をしたと書いてあります。
『あなたがたのうちの誰かに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。
「友よ、パンを3つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです」
すると、その人は家の中から答えるに違いない。
「面倒をかけないでください。
もう戸は閉めたし、子供達はわたしのそばで寝ています。
起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません」
しかし、言っておく。
その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはしなくても、執拗に頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
そこで、私は言っておく……』
そのあと、今日取り上げたイエスの、「求めよ、そうすれば……」ということばに続いていきます。
しかし、いくらパンがないからと言って、夜中に押し掛けてこられたら迷惑な話ですね。
尋ねていく方も、ちょっとあつかましいような気もします。
だけど、よく考えてみれば、何か(誰か)を自分の思い通りにしようと思うのなら、そのくらいのあつかましさと熱心さが必要なのかも知れませんね。
もちろん、単なるワガママでは困りますが、本当に自分が心から願うことならば、強い情熱を持ってぶち当たれば、どんなことだって必ず叶うということなのでしょう。
これはイエスさまのお墨付きなんですね。
そういえば、今日はクリスマス。
上の娘が、まだ小学校に上がる前のことを思い出しました。
クリスマス前から、娘は、当時流行っていた携帯用のゲーム機が欲しいと言っていました。
「サンタさんにお願いするの」と言って、手紙を書いたりしていたようです。
私は、小さな子供が持つにはちょっと難しそうに思えるし、ソフトも一緒に買うとなれば贅沢すぎるだろう、ということで、
「サンタさんも、たくさんの子供におもちゃをあげなければならないから、大変なんだよ」
「欲しい子が一杯いるだろうから、途中でなくなっちゃるかも知れないね」
などとはぐらかしていました。
買ってやりたいのはやまやまですが、本音は、年末のもの要りのときでもあったし、その年は予算的にちょっと苦しかったのです。
さて、クリスマスイブの夜。
日が暮れはじめると、娘は、そわそわしはじめます。
「ずっといい子にしていたから、サンタさん、きっとプレゼントくれるよね」
「友達がみんな持っているから、このゲーム、ぜったいに欲しかったの」
などと、瞳をキラキラと輝かせながら、言うので、そのたびに、私は胸が締め付けられるような思いです。
「早く寝てないと、サンタさんが来れないね」
「サンタさんが来るから、窓の鍵をかけちゃダメよ」
早めに寝床に入ってしまった娘の枕元には、小さな靴下と、クレヨンで描いたサンタさんの絵。
……実は、すでにクリスマスプレゼントとして、キャラクターのぬいぐるみを用意していました。
でも、さすがに、そんな娘の寝顔を見ていると、ぬいぐるみだけを枕元に置くことはできませんね。
まあ、こんな夜更けにゲーム機を買いに行くわけにはいかないので、自分の財布から、なけなしの小遣いを抜き出し、そっと靴下のなかに入れておきます。
朝起きたときの、娘のよろこぶ顔を思い浮かべながら、ちょっと幸せな一瞬でした……
「門を叩け、そうすれば開かれるだろう」
本当にそうなのですね。
よし!
がんばろう!
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2006年12月25日
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