No.691 リチャード・バック
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「問題は、必ずチャンスを持ってくる。
だから、人は問題を追い求めるのだ」
– リチャード・バック(アメリカの作家)–
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たとえば、いくら泳ぎが上手な人でも、はじめからうまく泳げたわけではないでしょう。
生まれて初めて水に入ろうとしたときには、やはり恐怖を感じたでしょうし、何度か溺れるような経験をして、だんだんと泳ぎ方を身につけていったはずです。
この「溺れる」ということに注目してみてください。
本当に死にそうになるような体験はともかくとして、水を飲んで苦しい思いをしたから息継ぎのコツを覚えます。
手足をバタバタさせるだけでは、身体は沈んでいくだけです。
そこを何とか前に進もうと、もがきながら手足の動かし方の要領を掴むことができるのです。
もちろん泳ぎ方の本を読んだり、泳ぎが得意な人に、泳ぎ方を指導してもらうこともできます。
でも、何冊本を読んでも、いくら泳ぎ方のコツを教えてもらっても、自分で泳ごうとしてみないことには、いつまでたっても本当に泳げるようにはなれないでしょう。
私たちが出会う問題も、この「溺れる」ということと同じなのではないでしょうか。
それを経験して、苦しんだりもがいたりしながら、何かを身につけていくためにあるのかも知れません。
そして大事なことは、なぜ溺れてまで泳げるようになりたいと思ったのかということです。
世の中には、一生泳ぐこともない人もいるでしょうし、そもそも自分のまわりに海や河などがなければ、泳ぐということがどんなものなのかも知らずに生きていたかも知れません。
でも泳ごうとした人の前には、水がありました。
そして泳ごうとしてみようとしたのです。
そう考えてみると、泳ぐことを選択したのは、『自分』しかいないということになりますね。
もちろん学校の授業などで、泳ぎたくもないのに強要されたなどの理由もあるでしょう。
だけど、ひょっとしたらその環境、さらには生まれて来た場所、時代さえも
含めて、過去のどこかで自分が選んだのかも知れません。
……いったいいつ? どこで?
そんな覚えはないよ……
という方もいらしゃるとは思いますが、私たちが今、ここに存在していることだって、ある見方をすれば私たちの選択だと言えるようです。
ということは、その「問題」に出会うこと、それを乗り越えることも、きっと私たちが選んだことなのでしょう。
そして、泳ごうとした人の環境のなかに、少なくとも泳ぐべき水があったように、私たちの「問題」にも、出会うだけの意味があるのでしょうね。
そして、それを選んだのは自分です。
きっと、その答えもすべて自分のなかにあるのでしょう。
極端にいうと、その問題を通して何かを考えたり、ものの見方を身につけることこそが、自分の生まれてきた目的や使命に気づくきっかけのような気がします。
本当は、道に迷ったときが、自分の行くべき場所を思いだすときなのでしょうね。
たとえば、今、あなたの目の前にある問題が……
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2006年02月16日
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