No.586 ナサニエル・ホーソン
———————————————————————-
「人間の最上の財産は、あなたの足元にあります」
– ナサニエル・ホーソン(アメリカの小説家)–
———————————————————————-
宗教学者で仏教に造詣が深い、ひろさちやさんの本を読んでいたら、「観音さまは、娑婆世界に遊びに来ている」といったようなことが書いてありました。
娑婆世界とは、今私たちが住んでいるこの世界のことです。
観音菩薩は、本来は、もっと次元の高い極楽浄土におられるはずの方ですから、あえてこの世界に来ることを選ばれたということですね。
それは、多くの人を救うためとされることが多いようですが、ひろさんによると、観音さまが私たちの世界に来られたのは、修行をするためでもあるということです。
なぜなら、極楽浄土にいては、修行をすることができないからです。
極楽浄土は、悩みや苦しみなどがまったくない平安な世界です。
たとえば、極楽浄土では、みんな、とてつもなく長生きをされます。
寿命はなんと、10の68乗年とも言われているそうですから、ほとんど無限に生きるといってもいいようですね。
これでは、なかなか死というものに出会うことはありません。
つまり、身近な人の死、愛する人を失う悲しみ、死の不条理などを経験することが、めったにないのです。
自分も長生きするわけですから、愛する人を残して死ななければならない心残りや、無念さを味わうことも、はるかに先のことになります。
また、極楽浄土の住民は、みんなかなり格が高い人ばかりですので、意地悪をしたり、人を恨んだり、泣き言を言ったり、人の足をひっぱったり、突然殴りかかってきたりする、といった方はあまりいないでしょう。
そうすると、人に裏切られた悲しみや、ひどいことをされたときに感じる怒りなんかも体験するのは難しいですよね。
あるいは、人を裏切ってしまったときの後味の悪さ、誤って罪を犯したときの心の痛みも経験できないでしょう。
食べ物や住むところにだって、困ることはまずないでしょうから、生活の苦しみ、未来への不安も感じる機会がないということになります。
もちろん、苦しみのないことは、よろこばしいことなのですが、それでは修行にならないというのです。
逆に、私たちの住む娑婆は、人は短い命を一生懸命に生きています。
いくら正しく生きていても、突然の死によって、愛する人たちと別れなければならないこともあります。
人に裏切られたり、裏切ったり、苦しみに眠れない夜を過ごしたり、うれしさに我を忘れてはしゃいだりと、いろいろなことを体験することになる世界なのです。
だからこそ、人の心の痛みがわかったり、深い悲しみに流した涙で魂が磨かれたりするのです。
また、この世界では、お金持ちの家に生まれたり、貧乏な家に生まれたり、健康だったり、障害を持って生まれてきたり、平和な国に住んでいたり、戦争で悲惨な国にいたりと、いろいろな役割があります。
その立場でしか、絶対に味わえない経験もあるのです。
観音さまは、そんな修行をするために、わざわざこの世界に遊びに来ているそうなのです。
……そんなことを知ると、「観音様ってやっぱりすごい!」と感嘆してしまいそうですが、本当は、そんな必要はないのですよ。
観音さまは、この世界に来られたときに、そのままの姿では具合が悪いので、33種類のいろいろな姿に変身されたということです。
なかには仏様や守護神の姿も有りますが、私たちのような普通の男や女、または子どもの姿もあるのです。
つまり、観音さまの分身が、自分が知っている人のなかにいるかも知れないということですね。
もっと言うと、私たちすべての生命は、本当は、観音さまが姿を変えて修行している姿なのかも知れません。
……なんてことは、ひろさんの本に書いてあったわけではありませんが、そう考えてみると、なんだかありがたい気持ちになってきませんか。
苦しいことがあっても、悩みを抱えて苦しんでいても、私たちは、もっと成長するために、今、ここで、立ち向かっている。
どんな体験でも、私たちの魂を磨いてくれる気づきをみつけることができるのでしょう。
この世界で、毎日生きていることこそが、とても意味があることなのです。
本当に大切なもの、私たちの成長の糧は、いつでも自分の足元にあるのかも知れませんね。
タグ
2004年11月26日
コメント&トラックバック(0)
| トラックバックURL
|
カテゴリ: バックナンバー


