No.472 ソロー
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「すべての不幸は、未来への踏み台にすぎない」
– ソロー(アメリカの作家)–
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江戸時代の儒学者・石田一鼎が、次のようなことを語っています。
「子供の頃に、不幸を経験した人間の生き方には二通りある。
ひとつは、自分の不幸を呪って、世の中に復讐してやろうと思うような生き方だ。
これは、不幸な経験を活かしてはいない。
逆に悪用していると言えるだろう。
その動機は私心から起こり、自分が不幸な経験をしたから他の人にも不幸を味わわせてやろうという誤った考え方だ。
もうひとつの生き方は、自分が経験したような不幸は、できるだけ他の人たちには味わわせてはなるまいと、世の中のために正しく努力しようとい
う生き方だ。
これは自分の不幸を乗り越えて活かしていることになる」
ときに私たちは、不条理としか思えない不幸に出会うこともあります。
特に人間関係に於いて、悩んだり苦しんだりすることが多いようですね。
それが一時的な関係ならば、どんなに深く傷つけられようと心の持ちようで、何とか乗り越えていくことはできるでしょう。
そして、世のなかにはいろいろな人もいるし、さまざまな考え方があるものだという気づきをもらったり、他の人には、絶対こんなイヤな思いはさせないでおこうという学びを得ることにもなるのです。
しかし、それが深い人間関係での不幸だとしたらどうでしょうか。
たとえば幼い頃に父親から酷い虐待を受け続けた、あるいは自分の子供が難病を持って生まれてきたといったような場合です。
それはもちろん、とても辛い経験でしょう。
どうして自分だけがそんな過酷な運命に出会わなければならないんだと、世の中を呪う気持ちを持っても当然かも知れません。
でも、こうも考えられます。
避けられない関係の相手だからこそ、神さまは、自分にその運命を与えたのだと。
自分は、他の人には乗り越えることができない、特別の課題に出会うことによって、何か大きなものを学ぶ存在であるのだと。
そして苦しさに負けずに、自分らしく生きることを選ぶことが、相手にとっての学びにもなっているのかも知れません。
神様は、その人が背負いきれない不幸など与えることはないのです。
ただ、それを乗り越えたときの、すばらしい未来があるだけです。
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2003年12月18日
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