No.738 サミュエル・バトラー
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「人生とは、人前でヴァイオリンをひきながら、その楽器について学んでゆ くようなものである」
– サミュエル・バトラー(イギリスの詩人)–
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昭和初期に活動した、彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)のドキュメンタリー番組を見ました。
田中といえば、造形で魅せる彫刻界ではタブーとされていた、彩色をほどこした木彫で有名で、代表作に『鏡獅子』等があります。
ドキュメンタリーのなかにあったエピソードです。
田中がまだ駆け出しだったころ、ある賞に弓矢を引く人をイメージした作品を出展しました。
弓をギリギリに引き絞り、今まさに獲物を射ようと構えている男性の彫刻です。
田中は、とにかくリアルな緊迫感を出そうと、丁寧に弓と矢を彫りました。
射手の腕には力が漲り、弓は大きくしなり弦が目一杯に引かれています。
田中にとって渾身の作品でした。
ところが、当時師事していた岡倉天心に、こう言われてしまいます。
「こんな弓では、豚一匹、射ることもできない。
もっと魂を込めてみろ」
苦悶と数々の試行錯誤の果てに、田中が生み出した最終的な作品は、何と、弓と矢が、全部、削り取られていたのです。
あるのは、ただ弓を引き絞る人物の姿だけ。
しかし、その腕には、凄まじいまでの力強さが漲り、目の前の標的にのみ精神力を集中した鬼気迫るまでの緊張感がありました。
見る人にとって、そこには、まさに弓と矢が存在し、矢の先には、次の瞬間射殺されているであろう標的を想像せざるを得ない、驚くべき作品です。
弓と矢は彫られていなくても、そこには、本物以上の弓と矢が、確かに存在しているのです。
……確かに。
誰かに言われても、一から十まで書かれた本を読んでも、心に落ちない真理はあります。
頭ではわかっていても、自分が経験するまでは気がつかないものなのですよね。
話は変わりますが、合気道で、よく『自分の中心に帰る』とか『自分の真ん中に意識を向ける』とか言われます。
でも、「自分の中心」って、ことばで聞くと、何となくわかったような気になりますが、実際に感じてみようとすると、なかなか難しいものです。
普段、「自分の中心」何て、考えたことはないですからね。
そんなとき、簡単に「自分の中心」を知る方法があります。
たとえば、立ったまま、自分が、ひとつの大きな砂袋だとイメージしてみます。
この砂袋には、砂が一杯詰まっています。
少し、身体を右に傾けると、砂が、ゆっくりと砂袋の右の方に流れていきます。
その砂の動きによって、ますます身体は右に傾いていくのです。
ある程度、身体が右に傾いたら、右側にあった砂が、今度は、左の方へ移動していくと想像します。
そう、右側にあったたくさんの砂が、だんだんと、左の方へ流れていき、その重さによって、身体は左に傾きはじめます。
身体が充分に左に傾いたら、また、砂袋のなかを、右側へ寄っていくと考えます。
そんな体重の移動を、何度か繰り返してみます。
どうですか?
右側に居る自分を感じられますね。
自分の左側にいる自分も味わうことができますね。
そうすると、自然に「中心」に居る自分を感じることができるはずです。
何が言いたいのかって?
あなたは、今までも完全で幸せだったし、これからもずっとそうだというこ とです。
それを知るために、今、困難や悲しみに出会っているのですよね。
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2007年01月29日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
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