No.506 セネカ
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「険しい道こそが、偉大なる高さに結びつくのである」
– セネカ(ローマの哲学者)–
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……スーフィー(イスラム教神秘主義)の寓話より。
はるか遠くの山々で生まれた小川が、長い長い旅の末、広大な砂漠にたどり着きました。
小川は、それまでさまざまな土地を流れて、数多くの障害を乗り越えてきたのでした。
森や草原、固く乾いた地面。
倒木に行く手を阻まれたこともありましたし、大きな岩にぶつかったこともありました。
そのたびに小川は、ただ流れ続けることによって、そして、ときには、雨を受けて激流となることによって、すべてを克服したのです。
小川は、前に流れ続けることによって、いつかは目標とする場所へ行くことができると信じていました。
それは、まだ見たことはないけれど、たくさんの仲間が集まっているところで、「海」とか「湖」とか呼ばれているところなのです。
「この先に、私が目指している場所がある」
砂漠の前で、小川は、そう確信しました。
そして、今までと同じように、この障害も乗り越えてみせようと、砂漠に流れ込んでいったのです。
ところが、すぐに砂漠の中に吸い込まれてしまいます。
何度、流れ込んでも、同じことでした。
僅かに降る雨を伴って、大きな流れになってみましたが、やはり、少しばかり進むと、水がすべて消えてしまうのです。
小川は途方に暮れました。
もう、どこへも行くこともできないのです。
そのとき、砂漠の砂のなかから、こんな声が聞こえてきました。
「風は、砂を越えて、どこまでも渡っていける」
それを聞いて、小川は、こう叫びました。
「風は空を舞うからこそ、砂漠の渡れるのだ。私は、空を飛ぶことなどできない。ただ、このまま砂に飲み込まれていく運命なのだ」
すると、砂のなかの声は、こう囁きます。
「そうだ。これまでのやり方で突き進んでいっても、砂漠を越えることはできない。
本当に、行きたい場所へたどり着くには、風と共に進むことだ」
「いったい、どうすればそんなことができるというのだ?」
小川が言うと、声が答えます。
「自分を変えて、風のなかに飛び込むのだ」
小川にとって、それは受け容れがたいことでした。
今までずっと、自分のやり方で前に進んできました。
もちろん、何かに飛び込んだこともなかったし、自分を変えようと思ったこともなかったのです。
自分という存在を大事にしたかったし、もし、自分を変えたとしたら、もう一度、今の自分に戻ることができるのでしょうか。
「風は、水を持ち上げて、砂漠を越え、また地上に降ろすことができる。
水は、雨として落ち、再び地面を流れることができる。
どちらにせよ、お前は、今の姿であり続けることはできない。
今のままでいることを選んだとしたら、やがて、すべて砂漠に呑み込まれてしまうだろう。
お前は、自分の本質を知らないから、今の小川という姿に固執しているだけのことなのだ。
自分の本質に気づけば、変化をしたとしても、やがては、ふたたび小川に戻ることができるだろう」
それを聞いて小川は、自ら変化することを選びました。
覚悟を決めて蒸発し、風のなかにとけ込んでいったのです。
風は、やさしくその蒸気を受け止め、抱きかかえたまま、砂漠の果てまで飛んでいき、そして、静かに雨を降らせたのでした。
小川の、新しい旅を祝福するために……
そう、がんばればがんばるほど。
自分の道を信じて進んで行けば、進んで行くほど。
やがては、大きな壁にぶつかることになるでしょう。
それは、「もう充分がんばったね」というメッセージなのかも知れません。
今が、自分に変化を起こすとき。
そして、自分の本質に近づくことができるとき。
きっと、この世界が、そんなことを教えてくれているのでしょうね。
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2004年05月13日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
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