No.023 ドワイト・アイゼンハワー
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「1日を振り返って、そこに楽しみと、喜びと、心からの満足がまったくなければ、その日は損失だ」
– ドワイト・アイゼンハワー –
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五木寛之さんの「生きるヒント」という本の中に、こんなことが書いてありました。
毎日がしんどく感じられたとき、1日に1回はよろこぼうと考え、手帳を買い込み、よろこびを感じたことを書いていったそうです。
たとえば、
「きょう新幹線の窓際の席に座ったので、富士山が真正面によく見えた。うれしかった」「いつになくネクタイが1回で形よく結べた。こんなにうまくいくなんてめったにないことだ」
といったことで、今読み返すと、実に他愛のないものばかりで驚くとおっしゃています。
さらに五木さんは、よろこぼうとその気になって身構えていると、よろこびはおのずからやってくる。
よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事だと続けています。
そう言われてみれば、よろこびや満足というものは、出来事そのものよりも、それをどう感じたかという受け取り方によるもののようですね。
同じ出来事を体験しても、よろこびたいという気持ちでいるのと、そうでないのとではかなりの違いがあるのではないでしょうか?
私は、昔、よく仲間と山歩きをしていたのですが、そのメンバーの一人にキノコ好きのおじさんがいました。
キノコは、木の根っこの間や岩のすき間、葉っぱの下などによくあるので、なかなか目に付かないのですが、そのおじさんはいとも簡単に見つけてしまいます。
おじさんに言わせると、葉っぱに隠れているキノコでも、何となくそこにありそうだということが分かるのだそうです。
我々は、その度に、スゴイなと感心していました。
よろこびだってキノコと同じように、目に付きにくいけれど、さがせばいくらでも見つかるのかも知れませんね。
どうですか?
私たちも、どうせなら、よろこびを見つけるのが上手な、よろこび好きのひと(おじさん?)でいたいものだとは思いませんか。
2000年01月27日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
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