No.020 ヘンリー・ウォード・ビーチャー
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「ほかの人間の欠点を言える人間はいない」
– ヘンリー・ウォード・ビーチャー –
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人の顔は、さまざまですね。
双生児だったら別ですが、自分と同じ顔を持っている人なんか、なかなかお目にかかれません。
そんなことは、言われなくてもあたりまえだと思っていますよね。
では、これはどうでしょうか?
「人の考え方や感じ方は、顔が違うように一人一人違っている」
言われてみれば、その通りなのですが……
実は、ほとんどの人間関係のトラブルは、相手も自分と同じように感じて、自分と同じように考えているはずだという思い込みが、原因で起こっているようです。
たとえば、小さい頃から几帳面な家庭で育ち、どんなことがあっても時間は守るべきだという信念の人がいたとします。
そして、今度一緒に仕事をすることになった人が、あまり細かいことは気しないのんびりしたタイプだったとします。
お互いストレスが溜まるのは、目に見えていますよね。
いつかはどちらかが切れて、大ゲンカしてしまうかも知れません。
なぜこうなるのでしょうか?
几帳面さんの言い分はこうです。
「だって、時間や約束はキチンと守るべきでしょう。それがわかっていながら、あいつときたら……
まったく、わざと遅刻したりして、私をイライラさせるんですよ!」
のんびりさんは、こう言うでしょう。
「あの人はなぜ、ああも融通が利かないんでしょうね。もっと柔軟に物事を考えたら、仕事がうまくいくのに……
この前だって、仕事に役立ちそうな新聞記事があったから、切り抜いて持っていったのに。確かに少しは約束の時間に遅れましたよ。
でも、約束よりもあの記事の方が大事だと彼も分かっているはずなんです。
まさか、 あんなに機嫌が悪くなるなんて……」
お互いに相手が自分と同じ世界に生きていると思うから、ハラが立つのです。
わざとそんなことをしてイライラさせているのだと、思ってしまうのです。
でも実は……
顔が違えば、そもそも生きている世界が違うのです。
感じ方も違えば、考え方の前提もまったく人の数だけあるのです。
これは、たとえ話ではなく本当に人の顔の数だけ、世界があるのです。
ホントかな、と思う人は、こんな実験をして確かめてみてくださいね。
まず、目と目の間がとても広い人と、とても狭い人を見つけてください。
(極端な人が見つかれば、とても面白いのですが……)
そして、二人に何かを見てもらいます。
たとえば、本棚の中の一冊の本を指さしたとします。
目の幅の狭い人に、
「何が見えていますか?」
と聞くと、たぶん、
「何がって、その本だろう」
「他には?」
「他にはだって? その本しか見えないのはあたりまえだろう!」
目の幅が広い人なら、たぶんこんな反応でしょう。
「本が見えるよ」
「他には?」
「そうだなあ、指さしている人差し指とか、いろんな本とか……
壁も見えるし、後ろに貼ってあるカレンダーだろっ。そのほかには……」
この違いは、双眼鏡と顕微鏡の原理から分かると思います。
顔が違うと実際に見えている世界が違うのです。
世界が違うと、考え方も全く違うのです。
細かいところに焦点が向いて時間を守るのが当然と思う人もいれば、幅広く全体的なことの方が大事だと思う人もいてあたりまえなのです。
そして、これは単に目の間の幅が違うことから来ているのかも知れません。
まだまだ人の顔の違いは、無数にあります。
人と自分の考え方は違って当然なのです。
それが分かれば、めったに人に対してハラが立ったりしなくなりますよ。
……とは言いません。
やはり、ハラが立つものは立ちますよね。
(でも少しは、ハラの立つ相手を理解するための情報として使ってみてね)
2000年01月24日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
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