2007年10月アーカイブ

No.804 J・マーフィー

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【癒しのことば】Vol.804   2007/10/19       

                                                 総発行部数:15,199部

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 「楽天主義も悲観主義も一つの思考習慣によるものです。
  楽天家の人生が楽しく、悲観主義者の人生が暗いのは当然です。
  どちらもそれを望んだからです」


                -- J・マーフィー(アメリカの思想家)--

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 もうずいぶん昔の話ですが、しばらく工場でアルバイトをしていたことがあ
 りました。

 電気製品の工場で、流れ作業で組み立てていく仕事です。

 現場には、いくつかの班があり、班単位で休憩したり食事に行ったりします。
 午前と午後に、ほんの少しだけの休憩時間があり、トイレに行ったり、休憩
 室でジュースを飲んだりして身体を休めていました。

 同じ班に、私より少し年長のおじさんがいました。
 その人とは、アルバイトをはじめたのが同時期だったこともあり、よく並ん
 で座っていろいろと話しをしたものです。
 
 おじさんは、毎日、午前も午後も休憩時間には、同じ種類の缶コーヒーを飲
 んでいました。
 休憩室にある自動販売機で買った缶コーヒーです。
 
 あまりにも毎回同じものなので、あるとき尋ねてみました。
 
 「その缶コーヒー、よっぽど好きなんですね」

 ところが、おじさんの返事は、ちょっと意外なものでした。

 「ああこのコーヒーか? 俺はあんまり好きじゃないよ。
  甘ったるいのは苦手なんだ」

 「じゃあ、どうしていつも同じ種類のコーヒーを飲んでいるの?」

 「どうしてって......
  どうしてだろうなあ」

 よく聞いてみると、おじさんは自動販売機にお金を入れると、ついつい一番
 左にあるボタンを押してしまうというのです。
 クセのようなもので、気がつくと、そのボタンを押してしまっているそうで
 す。

 自動販売機には、微糖やブラックのコーヒーもあるのに、おじさんは、いつ
 でも砂糖がたっぷりと入った缶コーヒーを買ってしまっているようです。

 それ以来私は、、おじさんがその缶コーヒーを飲んでいるところを見ると、
 からかうようになりました。

 「あ、またそのコーヒーを飲んでいる」
 「あれ? 甘いのは嫌いじゃなかったの?」

 そのたびにおじさんは、少し悔しそうに首をひねります。

 「本当だ、またこのコーヒーだ」
 「何で、いつもこんな甘いのばっかり飲まなきゃいかんのだ」

 結局、数ヵ月後に私が退社するまで、おじさんは、毎日、2回の休憩時間のた
 びに、あまり好きではないコーヒーを飲んでいました。

 それからかなりの年数が経ちますが、ひょっとしてまだ、その会社にいるの
 なら、今も、同じ甘いコーヒーを飲み続けているのかも知れません。

 おじさんは、そのコーヒーは好きではなかったのです。
 でも、自動販売機の同じボタンを押し続けていたので、いつでもそのコーヒ
 ーが出てきていました。

 ボタンを押したのは誰でしょう。
 そのコーヒーを選んでいたのは誰でしょう。

 誰でもない。
 おじさん本人ですよね。


 自動販売機の、同じボタンを押せば、いつでも同じものが出る。
 当たり前のことです。

 もし、違うコーヒーを飲みたければ、違う位置にあるボタンを押せばよい。
 これも当たり前といえば、当たり前のことですね。


 人生で同じ選択を繰り返していれば、いつも同じ生き方になる。
 当たり前のことです。

 もし、違った生き方をしたければ、違ったことをしなければならない。
 新しい選択、別の行動。
 これだって、当たり前といえば、当たり前のことです。

 
 今の生き方が気に入らないのなら。
 もっと楽しく生きたいと思うのなら。

 『楽しく生きる』という選択をしてみるだけのことですよね。

No.803 ヘミングウェイ

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【癒しのことば】Vol.803   2007/10/17       

                                                 総発行部数:15,190部

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 「釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい」


                -- ヘミングウェイ(アメリカの作家)--

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 がんばって身に着けたものは、がんばっていないと持ち続けることはできま
 せん。

 楽に自然に身についたものは、いつまでも楽に自然にそこにあります。


 100メートルを走る。
 もっと早く走るために練習する。

 何度も何度も。
 少しでも早く走れるようになるために、必死でがんばる。

 とうとう良い記録を達成することができた。

 だけど、そのスピードを維持するためには、毎日、走り続けなければなりま
 せん。
 少しでも休めば、それだけ感覚が鈍り、走るスピードが遅くなってしまうの
 です。

 がんばって達成した記録は、がんばっていないと持ち続けることはできませ
 ん。


 楽に自分のペースで歩く。
 好きなときに、好きなだけ歩く。

 歩くことは、幼い頃、知らぬ間に身に着けていたことです。
 しばらく歩かなかったからといって、急に歩けなくなってしまうことはあま
 りないでしょう。

 自分のリズムで歩くことなら、どれだけ間が空いていたってできるでしょう。
 
 楽に自然に手に入れたことは、楽に自然に持ち続けることが可能なのです。

 もちろん、人生のなかで、がんばって達成しなければならないものもあるし、
 必死になるべきときもあるでしょう。

 だけど、そんなふうにがんばって手に入れたものは、きっとそのときに味わう
 ものなのでしょう。
 持ち続けようとがんばってしまうと、かえって苦しくなってしまうものなので
 しょう。


 ......幸せになりたい。

 そう、がんばって何かを達成して幸せになる。
 努力して、幸せを手に入れる。

 すばらしいことです。

 大いにがんばりましょう。

 がんばって手に入れて、達成したよろこびを味わってみましょう。


 そして、もっとすばらしいこと。

 それは、今、この瞬間に、すでに自分は幸せなんだと気づくこと。
 すべては自分のなかにあるし、こうして生きていること自体が、そのまま満
 たされているのだと知ること。

 
 がんばって手に入れたものは、がんばり続けないと持っていることはできま
 せん。

 楽に自然に、はじめから持っていたものは、何もしなくてもずっとそこにあ
 ります。

 
 それは、必死でがんばっているとき、がんばらなければならないと思ってい
 るときには見えないものなのかも知れません。
 
 でも、楽に自然に、自分らしくいるときには、ずっとずっと前から、ここに
 あったものだと気づくのでしょう。


 池に竿を伸ばして......

 魚がかかったら、魚を釣り上げることにがんばりましょう。

 魚がかからないときには、まわりの景色や風の音を楽しむ時間にしてみまし
 ょう。

 どんなときにも、それは、あなたの手のなかにあるのですから。
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【癒しのことば】Vol.802   2007/10/12       

                                                 総発行部数:15,185部

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 「大いなる存在はすべてを見通していて、
  与えたものにはすべて利子までつけて返してくれる」


        -- リチャード・カールソン(アメリカのカウンセラー)--

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 「私のまわりは、思いやりのない連中ばかりだ」

 その年配のご婦人はそう思っています。

 夫は仕事ばかりで、ろくに話をする時間もないし、嫁に行った娘はめったに
 帰ってこない。
 孫にいたっては、めったに電話も手紙をくれはしない。

 近所の人も旅行に誘ってくれたためしはないし、昔からの友人たちも最近は
 音信不通だ。

 みんなみんな思いやりが足りない。

 そこである人に相談してみることにしました。

 「そうだ、本当に思いやりが足りない」

 その人が答えたので、ご婦人はわが意を得たりとうなずきます。

 「そうでしょう。
  まったく思いやりのない人たちばかりなんですから」

 「本当に思いやりが足りない人だ。
  ......特にあなたがね。
  今までまわりの人たちに、どれだけ思いやりを持って接してきたのですか?」

 言われてご婦人はハッと気づきました。
 そう、考えてみれば、自分は愚痴ばかり言って、まわりの人たちを憎んでい
 て、思いやりをかけようなどと思ったこともなかったのです。

 まわりの人たちの思いやりがなかったのではないのです。
 思いやりを与えなかったから、誰も思いやりを返してはくれなかっただけの
 ことだったのです。

 
 幸せになりたいと思っている人は多いでしょう。

 でも、「幸せになりたい」と思っていることこそが、『今、自分は幸せでは
 ない』ということが前提になっているのですから、意識のベクトルが「幸せ
 ではない」という方向へ向かってしまっているのです。

 だから、なかなか幸せを手に入れることができません。

 そんな人の多くが、そもそも「幸せ」の定義を間違っていたりしているよう
 です。
 
 経済的に豊になる。
 権力を持つ。
 欲しいものを手に入れる。
 何でも自分の思うようになる。
 楽をしたい。

 そんな方向に意識のエネルギーを使っているから、本当の「幸せ」からは遠
 ざかってしまうのでしょう。

 なぜなら、そのような望みは、手に入れれば入れるほどさらに欲望が大きく
 膨れ上がり、いつまでたっても満たされることはないからです。
 いくらエネルギーを注いでも、ただ浪費されていくのみなのです。

 実は、幸せではない状態というのは、いつもエネルギー不足のことを言うの
 です。

 ということは、「幸せ」な状態とは、エネルギーに満ち溢れた状態のことだ
 となりますね。

 それは、心が平安で満たされた状態。
 つまりあまり自分とか欲望とかを意識していないときなのかも知れません。


 ......そして、それは、何かを与えているときなのでしょう。

 今の自分でいて、自分ができる最大限のことをやってみる。
 毎日を思いっきり楽しむ。

 私たちが、この世界にできる最大限の貢献が、それなのではないでしょうか。
 
 幸せを人に与えてみればいいだけのことだったのですね。

No.801 ジョン・ラスキン

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【癒しのことば】Vol.801   2007/10/10       

                                                 総発行部数:15,169部

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 「私たちが考えたり、知っていたり、信じたりすることは、最終的にはそれ
  ほど重要ではない。
  唯一重要なのは、何を実行するかである」


               -- ジョン・ラスキン(イギリスの作家)--

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 自動車に乗り込みます。
 
 行きたい場所は決まっています。
 海沿いのリゾート地で、休暇をのんびり過ごすのです。

 一度も行ったことがないところですが、地図があるので行き着けるはずだと
 思っています。

 キーをまわしてエンジンをかけ、アクセルを踏めば、自動車は動きはじめる
 でしょう。

 あとはただ地図に書いてある道を進んでいけばいいだけのことです。

 暖かでゆっくりできるリゾート地へ行くのです。

 さあ、スタートです。
 
 そのとき、ふと思います。

 「本当に、この地図は正確なのだろうか?」
 「途中でガソリンが切れたりしないかな」
 「自動車が故障していたりしていないか」
 「事故に遭ったらどうしたらいい」
 「行き先の天気が荒れていたらどうしよう」
 「......そもそも、なぜ、そこに行かなくてはならないんだ」

 その瞬間、手が止まります。

 リゾート地に行きたいはずなのに、なぜか行動に移せません。

 頭ではリゾート地で楽しんでいる自分の姿を想像しているのに、同時に、自
 動車のトラブルで困っている自分や嵐の海岸で怯えている自分のイメージも
 浮かんでくるのです。

 自動車のなかで身動きもとれなくなってしまいました。


 「......そんなバカな奴いるはずがないよ。
  自動車へ乗って、目的地へ行くだけのことだろう。
  簡単なことさ」

 などと思われる方もいらっしゃるでしょう。

 でも、ひょっとしたら似たようなことをしているのかも知れませんよ。


 たとえば、
 「成功したい」
 「夢を叶えたい」
 「お金持ちになりたい」
 と考えている人は多いはずです。

 望みを達成したいと強く願い続けている人も。

 だけど、その後すぐにこんな思いも浮かんできたりしています。

 『世の中は、そんなに甘く行くものではないよ』
 『自分にはそんな能力もないし......』
 『今まで、何をやってもうまくいったためしはないじゃないか』

 つまり、成功や願望について考えるのと同時に、失敗や挫折についても考え
 てしまっています。


 私たちの現実は、私たちの内面の反映なのです。

 成功についてだけ考えることができれば、それは行動に結びつき、結果的に
 望ましい成果を得ることができるでしょう。
 うまくいっている現実を引き寄せるのです。

 失敗についてだけ考えているの、考えている通りの現実を生きることになる
 でしょう。

 そして、成功と失敗について同時に考えることは、お互い打ち消しあって身
 動きできない現実を創りあげるのですね。

 
 夢を考えるとき。
 成功について考えるとき。
 やりたいことをやろうと思ったとき。

 同じように金縛りになってしまう人はいませんか。


 解決方法は簡単です。

 成功についてだけ考える。
 自分を信じ、信頼する。
 エンジンキーを入れ、アクセルを踏む。

 ......たったこれだけのことなのですよ。

No.800 ウィリー・ジョリー

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【癒しのことば】Vol.800   2007/10/09       

                                                 総発行部数:15,176部

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 「乗り越えるべき試練は、わたしたち自身の心の山だ」


          -- ウィリー・ジョリー(アメリカのカウンセラー)--

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 ......ある方からお話を聞く機会がありました。


 「呼びかけ」は、いつでも誰にでも来ている。
 
 それは、「愛せよ」という呼びかけであり、「愛を受け取れ」という呼びか
 けでもある。

 それは神、あるいは大宇宙、大自然といわれている存在からの呼びかけである。

 「愛せよ」とは、言い換えれば自分のワクを超えろということ。

 なぜなら「愛」の対極にあるものは「エゴ」
 「エゴ」とは、自分の身を守るためにあるものだからだ。

 自分のワクを超えない限り、今の自分は安全でいることができる。
 冒険しなければ、危険もない。

 不安、恐怖、不信。
 
 それらはすべて「エゴ」から生じる。
 つまり、今の自分を変えたくないという思いだ。

 たとえ今の自分のことが嫌いで、生き方を変えたいと切に願っている人でも
 「エゴ」が働いた瞬間、そのちっぽけな自分を守ろうと必死になる。
 
 だから、この世界は「愛せよ」と呼びかける。

 自分のワクを超越したとたん、すばらしいものが見えてくるはずだからだ。

 天から与えられた才能、資質に気づくことは、自分を表現し輝かせることに
 なる。
 その輝きに導かれ、同じ輝きの種を宿す人々とのつながりをつくりだす。

 絵を描くこと、映画を作ること、音楽で自分の内面を表現すること、物語を
 伝えること。

 自分のワクを超えて、本質に触れたものは、それが職業になり、あるいは芸
 術的な表現手段となり、ほかの人々にも愛を与えることができるようになる。

 もちろん芸術に限らず、もっと目立たない才能もそう。
 
 人を笑わせる。
 人の話を良く聞く。
 まわりを良い気持ちにさせる。
 共感する、感動する。

 その能力はもう「呼びかけ」に応じた「愛」の表現である。

 「愛」を別のことばで表現するとしたら、「自分自身になれ」ということば
 だ。
 「自分自身になる」ということは、この大きな世界の一部になるということ
 であり、自分がそうした存在であると気づくことである。

 魂に応える準備ができたときに、「呼びかけ」はやってくる。
 真実は、「呼びかけ」はいつもあるのだが、自分の本質に気づくための最適
 なタイミングの際に、見えてくるということだ。

 それは光と喜びに満ちたものであるとは限らない。
 挫折、失敗、絶望、という形を通しての「呼びかけ」もある。

 それに気づくか、見ないふりをするか。

 「エゴ」に打ち勝ち、「愛」を受け入れることができれば、そこから新しい
 物語がはじまる。

 われわれは、われわれが思っているより、もっと大きな存在なのだ。



 ......ずっと意味を考えていました。

 よくよく思ってみれば、この話、誰かに聞いたものか、本で読んだものか、
 夢に見たものか。 
 はたまたひらめきのメッセージなのか、わからなくなってきました。

 どちらにせよ、今、何かを乗り越えるべきときなのでしょうね。
 

 そして、それは、今読んでいるあなたに向けられたことなのかも知れません
 よ。

No.799 ジョルジュ・サンド

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【癒しのことば】Vol.799   2007/10/04       

                                                 総発行部数:15,134部

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 「信頼とはワクワクすることであり、熱狂である」


              -- ジョルジュ・サンド(フランスの作家)--

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 テレビで見たのですが、、ムツゴロウ先生こと畑正憲さんは、オオアリクイ
 を抱きしめてみたことがあるそうです。

 オオアリクイには凶暴性はないものの、湾曲した長く大きな爪があります。
 蟻塚を壊すためにかなり力も強いそうですから、下手に近づいて爪にひっか
 かりでもしたら、皮膚が裂けて大怪我をしてしまいかねません。

 案の定、ムツゴロウ先生がオオアリクイに寄っていくと、爪を立て腕を掴ま
 れそうになってしまいます。
 
 そのとき、ムツゴロウ先生は、まったくあわてず、オオアリクイの腕などそ
 こに無いかのように振舞いました。
 
 爪の間から、オオアリクイに寄っていき、
 「よーし、よし、よし」
 と頭を撫でてあげたのです。

 すると、オオアリクイもおとなしく抱きしめられていたということです。


 ......もしも、このときムツゴロウ先生が、オオアリクイの爪が怖いと思った
 り、それを避けようなどと考えていたら、ひよっとしたら、大惨事になって
 いたのかも知れません。

 そんな爪など無い。
 恐れることなど存在しない。

 きっとムツゴロウ先生には、大人しくてかわいいオオアリクイだけしか見え
 なかったのでしょう。

 信じていたからこそ、本当に、そこには危ないことなど存在できなかったの
 でしょうね。

 
 ふとこんなことを思い出しました。

 聖書に、イエス様が、手を触れるだけで病んだ人を癒し、目の不自由な人が
 見えるようになったというエピソードがありますね。

 ある人に言わせると、それは、そのときのイエス様には、病んだ状態がある
 ことなど信じなかったからだそうです。

 イエス様にとって、あるがままの状態、正しい状態しか存在を認めなかった
 のです。

 その信じる力があまりにも強かったので、側にいた人の病も存在することが
 できず、結果的に治癒されたというのです。

 信じること、信頼することのすばらしさですね。


 ......テレビで見た話をもうひとつ。

 これはクイズ番組で出題されていたものです。

 電信柱を造るときには、鉄骨のワイヤーでで枠組みを作り、そこにコンクリ
 ートを流し込んで円柱状にします。

 鉄骨とコンクリートですから、かなりの強度があると思いますが、実は、こ
 のままだと、強い風が吹いたときなどには、案外簡単に折れてしまったりす 
 るそうです。

 そこで、さらに強度を上げるためにすることは何でしょうか?
 という問題でした。

 答えは、コンクリートのなかを空洞にすること。

 つまり、なかが空洞だと、風に吹かれたときには、竹のように全体がしなる
 ことになるので、なかなか折れたりしなくなるのです。

 流されるままのようでいて、本当は強い。

 

 あるがままでいて、自分らしくいることを信頼する。

 この世界で、それが一番強いものだということなのでしょうね。
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【癒しのことば】Vol.798   2007/10/01       

                                                 総発行部数:15,124部

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 「運命は偶然ではない。選択したものである。
  手をつかねて待つべきものではなく、達成するべきものである」


             -- ウィリアム・ジェニングス・ブライアン --

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 以前、こんなショートストーリーを書こうかと考えていたことがあります。


 ......近未来のある国。
 その街の人々は、便利な機械に囲まれて暮らしていました。

 掃除、洗濯、料理などはもちろん、朝起きて顔を洗うのも、服を着替えるの
 もすべて機械がやってくれます。

 ベルトコンベア式の道で通勤通学をし、学校へ行けばコンピュータが勉強を
 教えてくれ、仕事もほとんどがロボットがこなしているのです。

 発電するのも機械、新しい機械を造るのも機械。
 もはや人々の生活は、機会なしでは成り立たなくなっていたのでした。

 あるとき、ひとりの学者がこんな論文を発表します。

 「我々は、日常的に機械を使いこなしているが、動力となる電気について詳
  しいことがわかっているわけではない。

  電気が流れるという原理は研究されているが、そもそもなぜ電気が存在す
  るのかは解明されていない。
  さらに、地球環境がこれだけ変化した今後も同じように電流が起こるのか
  は、まったく予測不能だ」

 それがマスコミで報じられてから、人々は、言いようのない不安感に包まれ
 てしまいます。

 「ひょっとしたら、電気がなくなってしまうかも知れない」
 「機械が動かなくなったらどうしよう」
 「自分の力で何かをしなくてはならないなんて考えただけでも絶望的だ」

 人々は、機械のスイッチを入れるたびに、反応しないかもという恐怖に晒さ
 れます。
 電気があって当たり前という自信がまったくなくなってしまったのです。
 
 とうとう恐れていたことが起こります。

 発電設備の故障で、街への電力の供給が、一時的にストップしてしまったの
 です。

 それはほんの少しの間のことだったのですが、スイッチを入れても動作しな
 い機会やコンピュータを前に、人々は驚きショックを受けます。
 それがトラウマになり、二度と機械のスイッチに触れることができなくなる 
 人も続出。

 街には混乱と絶望が渦巻きます。

 そんななか、一部の人々は、街から抜け出す決意をしました。
 何もかも機械に頼りすぎていた生活を反省して、自分たちだけの力で生きて
 いこうとしたのです。

 それに同調する人が続出し、せっかくの超高度な設備を持ちながら、不安と
 恐怖が渦巻く街を捨て、人々は荒野へと逃げ出します。

 今まで、すべてを機械にまかせていたのですから、まったくゼロからのスタ
 ートです。
 石を削り、動物を狩り、地を耕す、というところからはじめなければなりま
 せん、それでも人々は逞しく生き残っていきました。


 それから、数千年。

 鉄器文明の初期に達した人々は、もっと豊かな地を求め、大冒険をはじめま 
 す。
 そして、忘れられた街にたどり着いたのです。

 伝説に語り継がれてきた機械に囲まれた街。
 人々は、はじめてみる光景に圧倒されます。

 近くの建物に入ると、なかは真っ暗ですが、かすかに壁にボタンのようなも
 のが見え、こう書かれています。
 「このスイッチを押すと、灯りがつきます」

 ひとりの男が、躊躇なくスイッチに手をかけました。

 その瞬間、建物中が明るくなり、にぎやかな音楽が流れてきたのでした。


 ......書こう、書こう、と思いながら今まで書けないでいたのは、この話が、
 自信をなくしたときの自分を映し出しているからなのかも知れません。

 すべては、ここにあるのに、ただスイッチを押せないだけの......

 運命は、自らの手で切り開かねば。

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