2007年5月アーカイブ

No.771 ベルクソン

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【癒しのことば】Vol.771   2007/5/29       

                                                 総発行部数:15,160部

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 「生存するということは変化することであり、
  変化するということは経験を積むことであり、
  経験を積むということはかぎりなく己れ自身を創造していくことである」

                -- ベルクソン(フランスの哲学者)--

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 先日、面白いお話を聞く機会がありました......


 よく会社などの朝礼で、社訓や目標を連呼したりすることがありますね。

 「わが社は、~でなくてはならない」
 「絶対~を達成しなくてはならない」

 個人でも、
 「~を手に入れなくてはならない」
 「私は、~をしなくてはならない」
 と強く思い込んでいる場合もあります。

 でも、これはたいていはうまくいかないそうです。

 なぜならば、その目的を達成できないことを自ら言い続けているからです。

 つまり、
 「~は、しなくては『ならない』」
 です。

 自分でその目標は、「ならない」と言っているのですから、達成できるはず
 はありません。

 考えてみると、「~しなくてはならない」と思っていると、緊張感も生まれ
 ますし、できなかったらどうしようという恐れも湧いてきます。

 肩に力が入って、慎重になりすぎるあまり、本来の力を出し切れないことも
 多いようですね。

 それよりは、もっとリラックスして。
 自然体の自分自身でいて、目標に向かっていくことができればいいですね。

 達成できてもできなくても、すべては運しだい。
 どんな結果になろうとも、自分の成長に役立つ天からのメッセージだと受け
 取ることができれば、もっといいですね。


 もうひとつ。

 子供が、遊びにでかけるときに、
 「転ばないように気をつけなさい」
 「ケガをしないようにね」
 などと声をかけますね。

 これは、いいことなのですが、ある意味において、「転ぶ」ことや「ケガ」
 をすることを子供の意識させ、かえってその現実を引き寄せてしまうことが
 あります。

 さらに、実際に転んでケガをするだけならいいのですが、度が過ぎていくと、
 「転んではいけない」
 「ケガをしてはいけない」
 という思い込みが強くなってしまう場合もあります。

 その思い込みを持ったまま成長した子供は、頭で意識はしていなくても、失
 敗したり挫折することを、どこかで恐れてしまうようになるかも知れません。

 その結果、
 「大きなことにチャレンジせず、無難な生活を送る若者」
 「ちょっとした失敗で、すぐ挫折して、自分に絶望してしまう人」
 が多くなっていきます。

 ちょっと大げさな気もしますが、これは真実のようです。

 だから、ある方のお母さんは、子供が遊びに出るとき、
 「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ」
 などと声をかけるそうです。

 そうですね。

 転んだって、ケガをしたって、失敗したって、それは何も問題もないのです。
 むしろ、そのまま倒れたまま、いつまでも立ち上がることができないことが
 問題なのです。


 「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ」

 今日は、このメッセージを胸に、気楽に生きてみてみましょうか。

No.769 W.Hオーデン

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【癒しのことば】Vol.769   2007/5/28       

                                                 総発行部数:15,168部

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 「ほんとうに生きたいのなら
  すぐいまから 
  はじめたほうがいい」

                -- W.Hオーデン(イギリスの詩人)--

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 ある町に住む人が、隣の町へ行きたくなりました。

 隣の町は、とてもすばらしいところだと噂で聞いていましたし、両親や友人
 たちも、行った方がいいと言うのです。

 その人は、隣の町までの道のことを調べはじめます。

 しかし、その道のりは、山あり谷ありの険しいもので、大きな木や雑草に覆
 われています。
 途中にはヘビや有毒の虫さえ出ることがあるようです。

 その人は、隣の町に向かって、少し歩いてみました。

 だけど、いくらも行かないうちに、絡みつく草やでこぼこ道に嫌気がさし、
 帰ってきてしまいました。

 まわりのみんなに、「隣町まで行く」といった手前、そう簡単にあきらめて
 しまうわけにもいきません。

 「この草木が邪魔なんだから......」

 ということで、多くの人を雇って、隣町までの草や木を切ってもらってみま
 した。

 それでも、まだうまく隣町まで歩けません。

 「険しい道がダメだ」

 と思いましたが、こればかりは人を雇って整地するわけにもいきません。

 とりあえず、登山靴や装備を買い揃えました。
 体力をつけるらめにジムにも通いました。
 道中を手伝ってくれる人も手配してみました。

 これで、いつでも隣の町まで行く準備は整いました。
 
 それでも、なかなか出発する気になれません。

 そういえば、その人は、それほど真剣に隣町まで行きたいわけでもなかった
 のです。

 その人は、「まだ隣町に行かないのかい?」と聞かれるたびに、答えていま
 す。

 「ああ、今は時間がないんだ」
 「ちょっと大事な仕事があってね。それが片付いたら......」
 「いつかは行こうとは思っているのだよ」


 その人と同じ町の別の人も、隣町へ行くことを願いました。
 隣町のことを聞くたびに、行きたくて行きたくて仕方がなくなってきたので
 した。

 こちらの人は、隣町の場所だけを聞くと、すぐに飛び出していきました。
 
 もちろん、はじめからうまくいくわけはありません。
 険しい道で、大怪我をして戻ってきたり、道に迷ってやっとのことで助け出
 されたりしたことが何度もありました。

 それでもその人は、ただがむしゃらに、進んでいきました。
 行く手を阻む障害のことは考えず、ただ、隣の町のことだけを思い続けたの
 です。

 そして、今は、隣の町に住んでいるというのです。


 夢に向かって進もうとするとき......

 「できない」理由を探せば、いくらでも見つかりますし、それが目の前にど
 んどん積み重なって身動きがとれなくなっていきます。

 「できる」と信じてみれば、どんな障害も邪魔ではなくなってきます。

 
 「できない」ではなくて「できる」ことを......

 自分自身というステキな場所に辿り着くにも、それが大事なようですね。

No.768 関野直行

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【癒しのことば】Vol.768   2007/5/10       

                                                 総発行部数:15,210部

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 「あなたは知っている、今のあなたに何が必要か。
  次の一歩を、どの方向に踏み出せば良いのかを」

                 -- 関野直行(文筆家・セラピスト)--

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 もうずいぶん昔の話ですが、私はパチンコに凝っていて、仕事が休みになる
 と打ちに行っていたときがありました。

 いつも勝つ気満々でパチンコ屋さんに向かうのですが、たいていは大きく負
 けて悔しい思いをして帰ってきていました。

 当時はまだ社会に出てすぐのころで、給料も安く、いつも小遣いが足りなく
 て困っている頃です。
 何とかして勝ちたいものだと、毎日、悶々としていたのでした。

 そんなとき、顔見知りになったパチンコ屋さん常連のひとりから、
 「パチンコで絶対に負けない方法を教えてやるから、酒でもおごれ」
 と声をかけられたのです。

 私は、もちろん、よろこんで彼に食事とお酒をご馳走しました。
 それで、パチンコに勝てるのなら、お安いものです。

 たらふく食べて好きなだけ飲み、さんざん待たせたあとで、彼はやっと口を
 開きました。

 「絶対にパチンコに負けない方法はな......」

 私はわくわくしながら、その続きを待ちます。

 「......それは、パチンコをしないことだ」

 身を乗り出して聞いていた私は、その瞬間、ガクッとずっこけてしまいまし
 た。
 そのときは、「まんまと騙された」と思い、腹が立って仕方がありませんで
 した。

 でも、今考えると、彼は、とても価値があることを教えてくれたようです。
 なぜなら、その日から、私は一度もパチンコに負けてはいません。

 つまり、パチンコを打つのを止めてしまったのでした。
 当然、パチンコで負けて悔しくて眠れないなどということもなくなったので
 す。
 
 考えてみれば、パチンコで負けたといって苦しんでいたのは、「何とかして
 勝ちたい」と期待したり、「小遣いを増やさなければならない」などと勝手
 に決めていたからだったようです。
 
 つまりパチンコで負けたことが、苦しみの原因ではなくて、そこにかけてい
 た『期待』や『決めつけ』こそが、本当の原因だったのです。


 パチンコと人生の問題を同じようなものだというつもりはありませんが、そ
 の基本的な構造は似たようなものかも知れません。

 「これが問題だ」
 「これさえなかったら......」

 などと思っているものは、案外、問題の本質ではなくて、それに対しての自
 分の思い込みこそが、問題だということも多いのです。

 たとえば、「子供が、全然、言うことを聞かない」という問題を感じている
 のなら、「子供が言うことを聞かない」という事象の前に、

 「子供は、親の言うことを聞くものだ」
 「子供は、もっと素直であるべきだ」

 といった思い込みがあるからなのでしょう。

 ちょっと自分の子供の頃を振り返ってみればわかると思いますが、子供は、
 親の言うことなど聞かないものです。
 自分勝手で、嫌なことはしたくないと思っているのです。

 逆に、何でもハイハイと素直に言うことを聞いている子供がいたら、ちょっ
 とおかしいですね。
 
 もしそんな子供がいたとしたら、親に怒られるのがいやだから、とか、親の
 前でだけ素直にしていれば、何も言われないから、といった計算をしている
 こともあるでしょうし、自分を強く抑えつけているのかも知れません。

 それはそれで、いずれバランスが崩れてしまうことになるでしょうから、よ
 けいに問題がこじれてしまう可能性があります。

 それよりも、子供に掛けていた期待や思い込みを手放し、「子供は自分勝手
 なものだ」ということを受け入れた方が、ずっと気が楽になります。
 そして、今まで感じていた問題は、もう問題ではなくなってしまうのです。

 もちろん、いくら子供が自分勝手だからといっても、まったく野放しにして
 いるわけにはいきませんので、それは、子供と話し合って守ったほうがいい
 約束などを決めることもできます。

 その方が、頭ごなしに決め付けられるよりは、子供にとっても受け入れやす
 いでしょう。


 少し話が逸れてしまいましたが、究極の問題解決法は、「問題を解決しよう
 としない」ことなのです。

 問題や悩みがあると、ついつい私たちは、それを解決しようと一生懸命にな
 ってしまいます。

 でも、公式1「どうにもならないものは、どうにもならないと受け入れる」
 を思い出してみるのです。

 それはそんなものだし、その人は、そんなことをする人なのです。


 自分の思いを変えれば、問題が問題でなくなります。
 そして、その分のエネルギーを、自分に課せられた本当の課題に振り向ける
 ことができるのです。

No.767 タイのことわざ

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【癒しのことば】Vol.766   2007/5/8       

                                                 総発行部数:15,302部

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 「急いで行こうと思ったら、古い道を行け」

                       -- タイのことわざ --

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 楽に生きるためには、「こだわり」や「執着」を持たない方がいいようです。

 でも、『「こだわり」や「執着」をなくさなくてはならない』ということに
 だって、「こだわり」や「執着」を持つ必要もないのですよ。

 本当のところは、私たちの人生において、
 「こうしなければならない」
 「こうであるべきだ」 
 ということは、ひとつもないのです。

 
 楽になるために、こだわりを持ってはいけない。
 そう思ったとしたら、それ自体がこだわりになってしまいます。
 それでは矛盾してしまいますよね。

 私たちの人生は、「何でもあり」です。
 
 『こうできたら、もっと良い』
 『そうなればれば、最高だ』

 ということは存在しても、こうでなければならないということはないのです。

 それを知るだけでも、かなり心が楽になりますよ。
 
 何かが気になっていたり、苦しみを感じているときに、自分の心を振り返っ
 てみると、ほとんどの場合、「こうでなければならない」と強く思い込んで
 いるのです。

 何だっていいのです。

 自分は自分で、こんな人間だし、
 あの人はあの人で、そんなことをしてしまう人なのですから。


 たとえば、イエスさまとか、お釈迦さまとか、マザー・テレサとか、インド
 のガンジー首相とか、アンネ・フランクとか、宮沢賢治とか、、、

 その生き方が、とてもすばらしくて、人に感動を与える人たちがいます。
 そんな人たちは、特に有名になろうと思ってはいないのに、気がつくと世界
 中の人々に、大きな共感を与えています。

 あるいは、あなたのまわりにも、尊敬できる生き方をされている方がいるか
 も知れません。

 彼らを見て、私たちは、「あんなふうにならなくては」「あんな生き方をす
 るべきだ」などと思ってしまいます。

 それ自体は、すばらしいことです。

 でも、それと同時に、そんな生き方ができない自分を責めたり、自分の存在
 に意味が感じられないと思ったりする人もいるようです。

 または、
 「あんな生き方なんて、自分が損をするだけだし、ひょっとしたら売名行為
  かも知れないぞ」
 などと、ちょっと斜めに見て、自分とは関係ないと思う人もいるでしょう。


 自分と引き比べてみると、とてもあんな生き方ができるとは思えません。
 自分は、ぜんぜんなっていないのではないかと、ついつい思ってしまいます。


 ここからが大切です。
 実は、そんな人たちは、この世界で、そんな役目を担って生まれてきたので
 す。

 私たちが生まれたのは、この人生で、必要なものを見て味わうためでした。
 そして、この世界は、もっと高次元の世界のための練習の場でもあります。

 もっと、人々の意識を高めること、何が善で何が善ではないのかを示す基準
 を教えること。
 
 この世界の人々が迷ってしまう、それが大切になる時代もあるのです。

 そんなときに、私たちに生き方のお手本を示す役割を持つ人が生まれてきま
 す。
 宗教的には、そんな人たちは、菩薩とか聖人とか呼ばれています。


 ......そんな役割の人と、自分を比較しても、あまり意味がありません。
 だって、あなたには、あなただけが持っている人生の意味があるのですから。

 それは、この世界で自分を楽しむこと、そして、自分が出会う、いろいろな
 出来事を味わうこと。

 だから、何も気にすることはありません。

 あなたは、あなたの人生を楽しめばいいのです。
 それがいちばん大切なこと。

 あなたの道を、ただ歩いていけばいいのですよ。

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